広島駅改札を出て南口大階段を降りると、既に試合開始前の賑わいを見せるワゴン屋台がずらりと並んでいる。

それを目で楽しみながら、赤いユニフォーム姿の人々に混じって球場へと向かって歩いてゆく。

球場へと続く道は途中から臙脂色に舗装された道となった。線路沿いのフェンスには過去から現在まで活躍するスター選手の紹介パネルが年代順に掲げられている。

正直どれを見ても最高にかっこいい、これを見るだけで他ファンの自分も気分が高揚してくる。

きっと地元ファンにとってはたまらない演出なんだろうと、双子の楽しげな反応を見てもよく分かる。

「そういえば二人は誰のファンなの?」

半日一緒に居たのに重要な話題を失念していた。良かったら教えてよ、と歩きながら促せばギン君は手を挙げて正捕手の名前を直ぐに上げてきた。

「もー! ぶちかっこいいんじゃ、ここぞいう時に打てるしのう!」

打てる捕手は確かにありがたい。最近は育成が難しいらしいが、やはり四番捕手というマンガみたいな打線は憧れてしまう。

一方のジョウ君は考え込んでしまい「……選べんっちゃ、本庄さん」と深妙な面持ちで返されてしまった。

「えー、こないだ二遊間がええって言いよったじゃろうが」

「ほうなんじゃが……」

ジョウ君は困り顔で助けを求める様にこちらを見上げてくる。意見が食い違う二人を見て、そういえば今日も何度か見た場面だなと思い起こす。

別に仲が悪い訳では無く、単にそれぞれ思う所があるだけの話だ。

「選べなくてもいいと思うよ、色んな選手をポジション毎に比較するのも面白いし。勿論、全員応援しても楽しいし」

彼は曖昧に頷いた。何か含みがある横顔に、いつかその理由が聞くことが出来たらいい。

そんなことを楽観視しながら再び選手の話題を絡めてひたすらに足を球場に進めていく。

坂道状になったデッキを上り切ると、試合開始四十分を前に待ちに待ったスタジアム入場口に差し掛かった。

ここでようやく指令長から預かったチケットを二人に渡し、これだけは何があっても絶対失くさないようにと強く念を押す。

そして手荷物検査とチケット確認を経て、ようやく初めてのマツダスタジアムに足を踏み入れた。

空が一層広く感じる球場は渋い赤をベースカラーに、メジャーの球場を手本としたベースボールパーク仕様になっている。

客席をぐるりと取り囲む広い自由通路コンコース部分は、他の球場には見られない程の飲食店や公式グッズショップがずらりと立ち並び、ただ散策するだけでも楽しい仕掛けだ。

ここ数年観客動員数がうなぎ登りというのも非常に頷ける。

まずはチケットを頼りに客席に向かうと、指定されたそこには既に見知った背中があった。

「お疲れ様です出水指令長」

「ああ、お疲れさん。皆んな結構早かったね」

手を挙げて応えてくれる指令長の隣に座って荷物を降ろした双子は、宮島から来たのだと嬉しそうに説明する。

「水族館に行ってきたっちゃよ指令長。面白かったわー」

「ありゃもっぺん行く価値はあるで。瀬戸内の魚がよけおったっちゃ」

双子の熱いコメントで大体何があったのかを察した指令長は、こちらに格別労いの視線を送ってくる。

もうその通りでございます、と応えたい気分になった。

「二人とも、コンコースは回ってきたかい? まだ時間があるから良かったら行っておいでよ」

指令長に促され、二人は待ってましたと言わんばかりにチケットホルダーを首に下げて席を後にした。

危ないから走るなよ、という自分の声が届いているか怪しい位にはまだまだ元気な双子だ。

「朝とテンションがまるで変わってないな」

そうなんですよと苦笑いしながら指令長の隣の席まで移る。

「少しばかり小遣い渡してますから、暫く戻ってこないでしょうね」

「世話かけて済まないな」

「気にしないで下さい指令長。それより矢賀の件はどうでした?」

いきなり仕事モードになってしまうのも味気ないが、自分のセクションにも関わる重要案件なので早速進捗状況を求めた。

「とりあえず交渉して一人引っ張って来られるようになった。整備班だけど人手不足だから助かったよ、来月頭の配属だ」

「西の新幹線本部に借りが出来ましたね」

「それでもこっちからのデータをかなり流しているからおあいこだよ本庄。持ちつ持たれつだ」

そんなもんですかね、とぼやきながら双子の荷物を広口のビニール袋に詰めて軽く縛る。

新機体の稼働テストに人員が足りない今、手っ取り早く内部人事に頼るのはやむを得ない話だ。

しかしながら、また先方から指令部に最重要データの開示請求が山程無ければいいと願うのがチーフオペとしての本音である。

「仕事の話はまた明日にして、今日は呑む?」

「流石に寒くなるから止めておきます。あ、指令長はどうぞご存分に」

そうかー寒いか、と指令長は腕組みして思案する。屋外球場はその構造上、風がよく吹き抜けるのでポストシーズンともなると夜は体感気温がかなり下がってしまう。

ナイターでのビール好きには残念な環境だがこればかりは致し方無い。現時点での気温は10度、体感気温は7度とスマホで確認する。

恐らくもっと冷え込むだろうと予想し、そろそろカイロの出番かと自分の鞄を探り始めた。

「熱燗売ってたっけ?」

「ああ確かありますよ、ワゴン売りで。あと客席回る売り子もいる筈ですし」

よかったら買ってきましょう、と腰を浮かせかけた所で指令長は右手を上げて制した。

「……いや、止めておこう。今日はあの子達のこともあるし」

指令長は申し訳なさそうに、今宵のホテルが二部屋しか押さえられなかった旨を詫びてきた。

今日は超繁忙期なのだから仕方ない。おまけに昨今インバウンドの影響で唯でさえ予約が取れない中、こうして宿を確保できただけでもかなり儲け物なのだ。

「双子を一人ずつ引き取って、の部屋割りだ。多分彼らは一人にしておいても」

「お喋りですね。でも野球知識は半端無いから楽しいですよ」

ホームチームがかなりの期間低迷した時代を双子はよく知っていた。そんな話を指令長にすると感心したように顎に手を当てて頷いた。

「暗黒時代を受け入れるとは真のファンだな、俺も見習わないと」

「弱い時期もずっと応援するのはいいことですが、これ以上オタク度を上げないで下さい指令長。お婿に行けなくなりますよ」

「じゃあ、お前貰ってくれ」

「嫌に決まってるじゃないっすか」

即答するなコラ、と額を軽く叩かれる。その表情が職場で見せる険しい顔から、すっかりくだけた柔らかい顔に変わっていたのでほっとした。

実はここに到着してからずっと彼から疲労の色を僅かながら感じていた。

上に立つ者としての仕事を完璧にこなす彼もまた、日々人知れず消耗しているのかもしれない。

今夜は彼の負担にならない様に瑣末なことは自分が引き受けようと決めた。

話題を温かい食べ物中心に振って、互いによく知る球場グルメの楽しさに盛り上がる。

中でも「うどん全部乗せ」は美味しいと評判らしいので、ここから少し遠いが後ほど行ってみようと思う。

客席が八割程埋まってきた球場に、試合開始直前のスタメン発表アナウンスが軽快な曲と共に始まった。

あのネットの記事通り深谷はスタメンに入っており、ちょっとしたどよめきが場内に起こる。

ビジター側の年若い監督が繰り出したこの意外な一手にホーム側の監督は果たしてどう迎え撃つのか。

天王山のクライマックスシリーズ三戦目は定刻通り午後六時に開始された。





回は順調に進み行き、ホームチームは若いバッテリーに対して連続2塁打やホームラン攻勢を経て3回まで3得点の猛攻で襲いかかる。

項垂れる先発投手は途中降板を余儀なくされ、代わったばかりの後続中継ぎ投手に対しての容赦ない怒涛の攻撃はまだ続いていく。

「これはすごいな」

「相変わらず打線は調子いいっちゃね」

1回裏にようやく席に戻ってきた双子は、熱烈に応援しながら時折解説を交えてくる。

自分を挟んで座る二人の声が同時通訳の様に重なって聴こえてくるが、言っている内容がほぼ同じなので笑いが込み上げてくる。

彼らは観る視点は同じなんだと、双子の同調率の妙を興味深く感じた。

3回裏の長い攻撃がようやく終わり、用足しついでに買い物へと席を立つとジョウ君も一緒にと付いてきた。

「本庄、悪いけど温かい飲み物買ってきてくれるか」

分かりましたと指令長から札を受け取り、暫しここを中座する。

日も暮れて流石に寒くなって来たのか、手洗いには行列が出来ている。そこにはこの気温でも半袖のレプリカユニホームだけで過ごす猛者もおり、熱の入れ様に舌を巻いた。

寒さ対策で薄手のダウンを羽織りカイロを持参している自分には到底真似出来ない。

「あのお兄さん寒くないんかの?」

同じく薄手のダウンの上にレプリカユニホームを着込むジョウ君が囁く。確かにあれだけでは風邪をひいてしまいそうだ。

「寒いけど応援していたら暑くなるんじゃないかな」

「例のスクワット応援じゃ、本庄さん」

あの過酷で有名な応援スタイル。一度は試してみたいが、幕張でやった千葉球団の延々跳ね続ける応援でさえ7回途中で付いて行けなくなった自分にはきっと向いてない。

「あれ楽しいけど9回にはヘトヘトなんよね、ほんま楽しいんじゃけど」

元気有り余る小学生でもついていけないとか、どこまでタフな応援スタイルなんだろう。

これが伝統的に長く続いているというのだから、やはりこのホームチームを支える底力は恐ろしい。

そんな他愛のない会話を続けているうちに、列は解消されていた。

ようやくあらかたの用事を済ませ、温かいお茶を四本購入する。ビンや缶、ペットボトルが禁止されている球場内の自販機では、紙パックの飲み物しか売られていない。

他ではあまり目にすることのない円筒形の緑茶と、ついでに買ったジェット風船を持参したビニール袋に入れる。

まだ何か買うものはと辺りを見回しながらジョウ君に尋ねてみる。

「もうちょっと見ていく?」

直ぐそこにある甘味の店を指し示すも、彼は首を横に降る。じゃあ帰ろうかと促せば、どこか思い詰めたような面持ちで自分の右腕を捉えてきた。

「あんな、本庄さんは……野球いつから始めたんっちゃ?」

「えーと、小学校一年からだけど」

ジョウ君の語感から、指令長にはあまり聴かれたくない話の類いなのかと察した。

とにかくゆっくり聞いてあげよう、なるべく通行人の邪魔にならないよう、風が吹き付けない端の方へと移動した。

「もしかして、野球やってみたい?」

「……なんで分かったん」

視線を逸らしつつ、ジョウ君は恥ずかしそうに下を向いた。

「一緒に居たらなんとなくそうかなって気がしてね。いいんじゃないかな、野球」

「でも……」

運転士の任務が、と言いかける彼に目配せと口元に指を立てて沈黙を促した。

こういう所では誰が何を聞いているか分からない、慌てて口を押さえる彼をかばうように何気なく自分の立ち位置を変える。

「そうだね、確かに両立は大変かも知れない。練習多いし試合もある。でも好きなことだから頑張っちゃうよね」

うん、と小さく頷く。

「ギンはやってみたらええんじゃないんかって言いよるっちゃ。ワシら双子じゃ言うても、やりたいこと違うのずっと前から知っとるし」

今日一日の行動を思い起こせばそうなんだろうと納得してしまう。

姿形は全く同じでも、兄は積極的で弟は思慮深い面を見せる。双子と言えども鏡合わせではない、やはり違う人間なのだ。

「じゃあ、あとは大人を説得しないとね。まずはご両親にちゃんと説明して、自分がどうしたいかを伝えて許可を貰おう。

こっちは……速杉指導長だな。それは僕が付いて行ってあげるよ」

「え、でも」

気後れする彼に大丈夫だよと励ましも込めて軽く左肩を叩いた。

「自分のやりたいことをなるべく諦めて欲しくないってスタンスの人だから、素直に伝えたら分かってくれると思うんだよね」

「大宮から来てくれるん?」

勿論です、と胸を張ればやっと彼は笑ってくれた。

「少年野球もリトルリーグだけじゃなくて軟式もある、それにもっと緩く出来る所も色々あるんだ」

今度京都支部の近くで探してみるね、そう約束して彼の頭を撫でた。

何度もありがとうと呟きながら右腕にしがみつく彼は、やっと心を許して甘える子猫のようだ。

彼に自分の姿を重ねた訳では無いが、やはり好きなことは諦めて欲しく無い。

それにまだこの年頃ならば沢山色んな経験をして人生の選択肢を増やして欲しいと心から思う。

運転士達に対して親の様な気持ちになる指令長の思いがそれとなく分かったような気がした。

「じゃ、帰ろっか。お茶冷めちゃうね」

カイロで温めようかと冗談を言い合いながら外野席入り口へと歩き出した所だった。

「本庄くん……! あんたあ本庄くんかね」

広島訛りが入った中年男性の呼び声に思わず振り返り、その姿に思わず驚きの声を上げた。

「もしかして本郷さん、ですか?」

球場の5回表が始まるアナウンスが、人もまばらなコンコースを抜けていった。





ようやく座席に戻ってきたのが五ツ橋弟だけだったことを、出水は不審に思った。

「本庄はまだ買い物かい?」

「そうじゃないんよ指令長、あのね」

彼が説明する所に寄ると、本庄の昔馴染みでホームチームのスカウトをしている男性と偶然にも再会したらしい。

「済まないがこの人とお話があるんだ」そう言われて彼は荷物を預かり、一足先に座席に戻ってきたというのだ。

高校時代の本庄に関東地区担当スカウトが付いていた話は知っていたが、まさかこの球団だったとは驚きだ。

右の本格派を欲しがる球団ということか、と一人で納得した。

「本庄さんってぶちすごい人なんじゃの、知らんかった」

こちらも驚きを隠せない双子だ。下手に騒がれる前に先ずは彼らを引き寄せて、大真面目な顔で言い聞かせる。

「いいかい二人とも、この話はここだけの秘密にしよう。誰にも言ってはいけないよ」

極秘命令だ、と言えば二人は目を輝かせて頷いた。とにかくややこしいことになる前に緘口令を敷く。

こういう厳しい言いつけだけは守ってくれる双子なので大変助かっている。

「あ、指令長あとね」

「まだなにか?」

ギン君が手に持っていた黄色い表紙の小さな野球名鑑を借りて、ジョウ君はあるページを指して言った。

「今出とる向こうのキャッチャー、ふかや、かいの。

本庄さんの恋人役、じゃなかった女房役じゃったってさっきのおじさんが言いよったっちゃ」

「は……?」

しっかりと固めている筈の前髪が、風に吹かれて一房落ちてきた。

逸る心を落ち着かせながら野球名鑑を借りて、深谷捕手の出身校を確かめる。本庄の経歴書にもあった都立高校の名前がそこに記されており、

同い年の彼が本庄の捕手だったことが間違いなく証明されてしまった。

だから何だというのだ。過去の捕手との関係性について特に何も語らないのならばそれで良い。

只でさえ怪我の経験でナーバスになる彼の思い出に更に輪をかけて無遠慮な詮索するなど、決してあってはならないことだ。

だが彼の「首を振らない投手だったから、配球は全て捕手に決めて貰ってました」という言葉がどうしてもひっかかってしまう。

そもそも本庄は誰かに依存するような男では無いと知っている。しかし一度彼の懐に入り込めば、大変な甘やかし上手になることも判明している。

だとすると、あの捕手を過剰に甘やかしていた可能性も高い。

やがて関係を深めた末に彼の下で恥じらいながら喘ぐ本庄の痴態まで想像し、

心の中で呟いた筈の「そりゃいくらなんでもダメだろう」という低い声が思わず漏れてしまった。

「指令長、大丈夫っちゃ?」

不安そうにこちらを伺う双子の声でやっと我に返る。

「ああ、ちょっと考え事をしていたよ」

そう笑い流してやり過ごす。そして前髪を撫で付け眼鏡のブリッジを押さえて軽く呼吸を整え、いつもの外面の良い自分に切り替えた。

こういう時に素早く感情操作が出来る技を身に付けておくと本当に助かる。

既に温くなった緑茶を受け取り、口元のラベルを剥がして流し込む。程よい温度が喉に落ち、ひと時の寒さを忘れさせてくれる。

「ぶちすごいの、この捕手八千万貰っちょる」

「うわ、ほんまにー?」

相変わらず例の捕手データで盛り上がる二人の声がそれとはなしに耳に入ってしまう。

そうかそうきたか、年俸八千万なのかこの捕手は。

謎の敗北感と共に、5回裏前に始まった球場全体で行われる名物ダンスをぼんやりと眺める。

このよく分からない青い感情をどう処理しようか、やはり酒があれば良かったといらぬ後悔をしながら手元の緑茶を飲み干した。





7回表が始まる頃、本庄は在来線がよく見えるコンコースの一角でグラウンドを背にして懐かしい人物と昔話に興じていた。

「すいません、ご馳走になってしまって。ありがとうございます」

「いやー安いもんでごめんな本庄くん」

先程球場名物のうどん全部乗せを奢ってくれた本郷さんは、自分との再会を心から喜んでくれた。

彼のひょろりとした痩せ型体型は変わらなかったが、たった九年で髪の色が全て白髪に染まっていたことが気掛かりだった。

スカウトという仕事はそれ程までに神経を使うものなのか、その過酷さを垣間た気がした。

「ドラフト会議が近いから、今はこちらなんですね」

「そうじゃね、詰めの打ち合わせいうとこ。本庄くんは仕事こっちなん?」

「関東の鉄道関連会社に就職しまして、今日は色々あって上司のお供です」

嘘はついてないが、現状組織がややこしい故に曖昧にぼかしてしまう。

「そりゃよかった。こないだ君の話題が出てね、どうしよるか気になっとったんよ」

「僕の、ですか?」

一体どういうことなのか。自分は割と早くからプロには行かない意思を伝えていたので関東ドラフトでもそう話題になる人間ではなかった。

なのに何故今頃話題に上がるのか、よく話が見えない。

「一月くらい前? 社会人野球のGMやっとる知り合いから急に『本庄くんのデータあったら教えてくれ』いう連絡があってね。まーびっくりしたわ」

先月のあの件か、と苦笑いする。まさか本郷さんの所にまで話がいくとは思いも寄らなかった。大変お騒がせしました、と深々と頭を下げてお詫びした。

「いや、頭上げて本庄くん。大丈夫じゃったから気にせんでや。それよりまた投げられるようになったんじゃね、よかったわほんま」

「全盛期の半分も戻っていないんですけど。でも、久しぶりのマウンドは怖くて楽しくて爽快でした」

そうか、と本郷さんはしみじみ頷く。

「GMさんは振られた言よったけど、本庄くんほんまに社会人野球いくの断ったんね?」

「はい、お断りしました」

「年齢的にも最後のチャンスじゃと思うんじゃ」

「現状維持を取りました。寂しい話ですが、不安定な野球生活には覚悟が足りません」

きちんと言い切った。プロ球団のスカウトを前にしてこの行動がどういう意味を持つことか、自分でもよく分かっていた。

だから言い切ったのだ。

「……まあ、あれよね。社会人大卒で入ったのは二軍で使い潰すいう所もあるし。

折角プロになったのにそういう使い方しかされんいうのは、しんどい話じゃ思う」

「同感です」

実はプロへの道を諦めたのも、この現実が待っている可能性もあったからである。

特に育成枠ではこのシステムが顕著らしい、というのはよく聞く話だ。

「ほいじゃが、それはそのチームの台所事情じゃけね。二軍の試合も回して、選手育成もしていかにゃならん。

現場もカツカツなんじゃろうて。ワシらにはどうにもしてやれん、残念な話じゃが」

その育成枠酷使状態がネットで問題になってます、と伝えると本郷さんは大きくため息をついた。

「うちはそうしてくれんように、上に進言するくらいしか出来ん」

ほいでも善処するわ、と笑ってくれた。

自分達が血眼で探し出した可能性の原石が使い潰され大成せず棄てられていくのは、彼らにとって最も心苦しいことなのだろう。

それがプロの世界だ、と言い切ってしまうのは余りにも夢が無く寂しすぎる。

そんな中での彼の昔から変わらぬ気遣いと優しい気質は、惑い悩む若者達にとって道を照らす小さな灯火の様だ。

ふと初めて変化球を褒められたあの日の夕刻を思い出した。

「また投げる機会あったら教えてえや、仕事ほっとらかして見に行くけん」

「ちょっと駄目ですよ本郷さん、若い子しっかり発掘して下さいよ」

いや、あの落差のあるフォークはまた見たいんよねと投球動作をする。本郷さんは元投手だけあって、やはりフォームが美しい。

そして唐突な大音量の応援歌に驚き思わず振り返ると、7回裏前の風船飛ばしが行われようとしている所だった。

勇ましい応援歌の終わりと共に無数の赤いジェット風船が舞い上がり、球場の夜空を赤く燃え上がらせていく。

「綺麗ですね」

「この声援が、ずっと変わらん広島の宝じゃけ」

その誇りを繋いでいくのがこの人の仕事なのだ。本当にかっこいい大人の一人だ。

色んなものを諦め失くしてきた自分にも大事な出会いが残されていた、月日が経ってようやくそれに気付くことができた。

なかなか人には話せないが、指令長だけにはすぐにでも聞いて欲しい。そんなことを当たり前の様に思ってしまった。








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