そして迎えた金曜日当日、始発の新幹線で出発して四時間半弱で目的地の広島に到着した。
新幹線駅構内は未だ工事中とあり、なかなか出口改札までが判り辛い複雑な構造となっていた。
まるでここは鋼材のジャングルか工事が終わらぬ横浜駅か、そんな仮設材の森を抜けて改札口を目指す。
やっとのことで新幹線口改札を出ると、そこには白を基調として天井高く改装され生まれ変わった駅の全貌が目の前に広がった。
まるで鶴が両翼を広げた様なしなやかな姿の造形は、以前テレビで見たプラハの駅に似た美しいデザインを彷彿とさせる。
天窓からは陽光が射し込み、閉塞感から解放された駅は非常に明るい。
「かなり綺麗になりましたね、びっくりした」
「本庄は改装されてからは来てなかったんだな」
相当変わってるから迷子になるなよ、と指令長は笑う。いや、冗談では済ませられない程に変わっているのでその可能性は高い。
何せ自分がここに降りたのは二十年も昔の話なのだから。
待ち合わせ場所にした在来線改札前の白い時計塔へ向かうと、遠目からも分かる双子の姿が既にあった。
指令長が手を振ると二人は気付いた様に、こちらへと我先に駆け寄ってきた。
「出水指令長こんにちは! 久しぶりっちゃ!」
「今日はほんまにありがとうございます!」
この兄弟から本当にステレオで同じ声が同時に聞こえてきた、思わず感嘆の声を上げてしまう。
指令長に歓迎され、揃って頭を撫でられる二人はまるで子猫の様に可愛らしい。
データ映像で垣間見た二人の戦闘時の緊張した面持ちとはまるで異なっている。
「本庄、向かって右が兄の五ツ橋ギン君で、左が弟の五ツ橋ジョウ君だ。二人に面識は……」
「直接会うのは初めてだよね。こんにちは、大宮支部の本庄です。今日はよろしくね」
少し屈んで二人に目線を合わせると、目を輝かせ歓声を上げながら自分の両脇に戯れついてきた。その様は本当に子猫みたいだ。
「本庄さんじゃー! ぶちすげー!うわー本物ー!」
「ワシらずっと会うてみたかったんっちゃ!」
概ね歓迎されているが、指令長が懸念事項で上げた通りのやかましさである。
しかし自分の甥っ子やハヤト君達を見ていると、小学生男子とは皆こんな感じなんだろうと思っている。
「では本庄、夕方現地で」
「はい。お仕事頑張って下さい」
指令長から手荷物を預かり、駅前にある支社へと歩き出した細い背中を一礼して見送った。
「指令長は忙しいんじゃのお」
「その分、皆んなで観る夕方の試合は楽しみにしていらっしゃるよ。さて、僕らも行きますか」
とりあえず全員の手荷物は駅直結のホテルに預けて身軽になるとして、昼食とこれからの行先を決めなければならない。
「本庄さんはどっか行きたいとこあるん?」
「うーん、時間があれば二つの世界遺産は見たいなって思っているんだけどね」
「よっしゃ、ほんならワシらが案内しちゃる。人があんまり知らん穴場にも連れてっちゃる」
意外にも二人は広島のことをよく知っているらしい。よくここに来ている様な口ぶりである。
「それじゃ、一旦荷物預けて……お好み焼き食べたい人ー」
競って手を挙げて返事をする二人がまた可愛い。この調子だと結構面白い滞在になりそうな気がしてきた。
昼食の後、路面電車に乗ってまずは一つ目の世界遺産と平和公園を目指した。
修学旅行シーズンとあって公園内には数多の学生が溢れており、祈りに包まれたかの地は大変賑やかしくなっていた。
中央部に位置する慰霊碑へ参った後、ジョウ君が勧める穴場という所へ案内された。
「本庄さんは昔の市民球場しっとるっちゃ?」
「うん、実は一度観戦したことが有るんだ。野球少年だったからね」
二十年前にだよ、と付け加えると二人は驚きの声を上げた。
「本庄さんって、見かけよりぶち年とっとんじゃの」
お兄さんはそこまで年寄りじゃないです、とギン君に苦笑いで応える。
「君達よりちょっと年下の時かな。親戚が広島に居てね、夏休みに一度観戦に連れて来て貰ったんだ」
「それっていつの話なん?」
「いきなり五位になった時代の頃かな。監督は三村さん」
ざっくりとした年代と当時の監督の名前を出しただけなのに、二人はそれだけで年間成績など言い合っている。流石は鍛えられた鯉ファンだ。
「ほんじゃあ本庄さんに今のアレ見せたらびっくりするかも知れんっちゃね」
少し抑えたトーンでジョウ君は、原爆ドーム前にある歩行者信号の先を指差した。
地図的に言えば、確かこの辺りに旧球場があった筈である。しかし、一向にそれらしき物が見当たらない。
「こっちよ、本庄さん」
ギン君に手を引かれて着いたのは、既に球場跡地として更地化した場所だった。
解体された敷地には黒いアスファルトが敷かれ、周囲を白い工事用仮囲いで覆っている。
ただ、象徴的に残されたライトスタンドの一部分だけがあの頃のままの姿で静かに佇んでいるのが遠目にもよく分かる。
月日はこうも容赦無く現実を突きつけてくるのか。
「これは……見事なくらい更地になってるね」
まさか想い出の地がこんな形になっているとは思いも寄らなかった。本当に驚くばかりである。
「ここ閉まったんが8年前じゃけ、壊しよる時はよう知らんっちゃ」
「ほいでも昔を知っとる人らがずっとここに残しとるもんがあるんよ」
球場跡地からすぐ近くの、電車通りに面したある場所まで二人に促される。
平和公園同様緑の木々が溢れるそこには、球団の輝かしい優勝の歴史が刻まれた大きな石碑があった。
その近くには、鉄人と呼ばれひたむきに野球に取り組んだ選手の背の高いモニュメントが静かに佇んでいる。
オフィス街にひっそりと在るそれは、勝鯉の森と呼ばれているらしい。
「知らなかった、広島にこんな場所があるなんて」
「ファンでも知らん人は多いんよ」
「ワシらもついこないだ教えて貰ったばっかりっちゃ」
確かにここは一見しただけでは分からない、正にファンにとっての穴場である。
目の前がメイン道路でかなりの騒音があるというのに、何故かここだけ流れる空気が違う感じがした。静謐、というべきなんだろう。
石碑表面に彫られた文字をよく見れば、昨年度優勝のこともしっかりと刻まれている。今年もきっとここに新しい歴史が刻まれるのであろう。
一度廃墟と化したこの街の希望として建設された球場は無くなったとしても、地に足のついた積み重ねを重要視する球団の想いや空気は今でもここに残り続けている。
「特別な場所なんだね、来て良かった」
連れてきてくれてありがとう、そう言いながら振り返ると二人は顔を見合わせ照れ臭そうにしている。
「こういう勝ったやつの積み重ね? よう分からんけど戦闘に活かせたらのう」
ジョウ君が何気無く呟いた言葉に、この子達の軸は運転士に移りつつあることを実感した。倫理的にこれが良いか悪いかはさておきの話だが。
「データ戦ってやつだね。そこまで理解出来ているなら大丈夫、あとの戦術は大人の仕事です」
「ほうかの?」
そんなもんです、と努めて笑う。
「さて、時間はまだあるから今度は宮島とかどう?」
各々歓声を上げ、鹿が見たいだの魚が見たいだのと騒ぎ始めた。時間に余裕が有り過ぎるので、二人がリクエストする水族館にも寄れそうなスケジュールだ。
「その前に、アイス食べたい人ー」
又もやステレオ音源でのはしゃぎ声が上がる。なんだか自分が思っていたよりも、引率の先生役が板についてしまった。
何より、戦闘に明け暮れる日々から少しだけ彼らを解放してやれるのが自分にとっても救いだった。
『いいか本庄、自分達が子供を前線に送っていることだけは決して忘れるな』
年端もいかない子供に適合し得る運転士の選定時に放った指令長の一言が、今でも脳の底に灼きついている。
詰まる所、正義の建前の元で日常的にそういうことをしているのだ、我々は。
使えるだけ使い潰す様な形で、この子達を答えの無い現実の犠牲にしてたまるか。
最近彼らのデータを算出する度に、そんなことを考える様になった。
アイスの話題で持ちきりな二人の手を何気なく取り、いつまでも変わることの無い小さな聖地を後にした。
世界遺産の一つ、安芸の宮島には市内からの乗り継ぎを経て四十五分程度で最寄り駅の宮島口に到着した。
のんびりと路面電車の旅も良かったが、いかんせん速度の問題で倍以上の時間を必要としてしまうネックがある。
今回は特に双子の要望も無かったので早々とJR線を選択した。
ハヤト君ならば、どんなに時間がかかろうともきっと路面電車を使いたがるに違い無い、これはもう確信を持って言ってもいい。
そして駅から徒歩五分程度の港にて、そこそこに大きなフェリーに乗船する。ここまで来ると神の島もう目前だ。
船から望む瀬戸内の海は年中穏やかで、波間を進むフェリーはそのおかげか殆ど揺れは無い。
外のデッキに出るとかなり風は強いが、陽射しの強い午後にはむしろ心地良かった。
ここでは一体どんな魚が採れるのか、二人の解説に時折質問を混ぜつつ十五分ほどの短い船旅を堪能した。
島に上陸して厳島神社への参道を歩いている最中、彼らからとても興味深い話を聞いた。
この神社に恋人同士で参拝すると必ず別れてしまうジンクスがあるらしい。
「ここにおってん神様がみんな女の子だから嫉妬するんじゃと。爺ちゃんが言いよった」
「へー嫉妬か。なかなかリアルだ」
「本庄さんも好きな人とデートする時は気をつけたほうがいいっちゃ」
好きな人。好きな人かどうかは微妙な線引きだが、指令長が宮島だけはどうしても行きたがっていたのをふと思い出した。
何やらこの島には毛利氏の古戦場跡があって、そこだけ猛烈に見たいと口惜しそうにしていたのだ。
曰く、戦国三大奇襲戦の一つ『厳島の戦い』が繰り広げられ、
僅か4千の手勢を率いた毛利軍は奇策を用いて大軍勢2万率いる陶氏を見事打ち破る鮮やかな進撃を見せたらしい。
今夏、ビールを飲みながらそんなことを熱心に説明されたが、残念ながら自分はさわりの部分くらいしか覚えられなかった。
なんというか趣味が沢山あるのは良いことだ、という感想しか出てこない。
もし彼と厳島神社に参ったとしても、神様もその深いオタク振りに引いてしまうのではないかと思う。
そこまで来ると別れるとかそういう次元を超越していて、それはそれで面白い。
「本庄さん、ここ鳥居がよう見えるっちゃ!」
「写真撮ってもええ?」
参道の終わりに近い海岸縁に向かって二人が駆けていく。
確かにそこは海上に建立する朱塗りの大鳥居が青空に美しく映える場所で、まるで絵葉書のような景色だった。
そんな景観を背景に何気無いやり取りをする二人を何枚か撮り、なんだかんだとせがまれて三人一緒に自撮りもしてしまう。
そこに偶然入り込んできた鹿のおかげでかなり面白いショットが残され、皆んなでカメラロールを確認した際はひとしきり笑った。
「これ指令長に送りたいっちゃ」
めっちゃ恥ずかしいからよしなさい、と今にも送信しそうなギン君をたしなめる。彼も意外と怖いもの知らずである。
入り口で三人分の昇殿料を支払うと、いよいよ厳島神社の回廊へと歩を進める。
約一千年も昔に建立され、改修を重ねたとはいえ未だ美しくある建造物に圧倒された。
この寝殿造りに込められた時の権力者が誇示する絶対的権威と華やかな雅さは、きっと誰も追いつけなかった栄華そのものだろう。
なにより目が覚める様な柱の朱は、床下に広がる満ち潮の乱反射を受けて尚その姿を紅く燃え上がらせている。
一面の朱に閉じ込められて、思わず来て良かったという言葉がため息と共に漏れた。
神社を後にして時間を確認したが、まだ充分余裕の様だ。
約束通り彼らを宮島水族館へと連れて行き、思う存分海の生物を堪能して貰うことにした。
当然の如く、ここでも魚貝類に関する知識を二人掛かりで叩き込まれてしまった。
コツメカワウソの愛らしい動作やスナメリの優雅な泳ぎよりも、瀬戸内アナゴの生態や牡蠣養殖の実態等の方が強く印象に残るというのはどうなんだろう。
このままいくと第二の人生は豊洲市場でも生きて行けそうな気がする。
太刀魚漁など一度やってみたいと思い始めた時は流石に我が身の危険を感じた。
アキタ君の言葉を借りれば、全くもって五ツ橋兄弟の話力は恐ろしい。それに尽きるものだった。
これ以上無い程に満喫した水族館を後にして、再び港からフェリーに乗り込み本土へと戻る。
宮島口駅の上り線ホームに滑り込んできた銀色に赤いラインが特長的な227系・通称レッドウィングへ乗車すると、
丁度隙間の時間帯だったのか学生の数もまばらで車内は比較的空いていた。
車内中程にあるボックス席に双子を座らせて、自分は対面に腰を下ろす。
広島駅の到着時刻を告げようと臨時ダイヤ表から顔を上げると、既に二人は電池が切れた様に寄り添って眠りに落ちていた。
思ったよりも移動が多くて疲れてしまったのだろう、広島駅到着までゆっくり寝かせてあげることにした。
自分としては本日のスタメン予想が気になり、午後四時過ぎ時点での情報が出ているかとスマホを操作する。
しかし情報サイトを巡回してもそれらしきものは見当たらず、流石にまだ早いかと画面を閉ようとした時だった。ニュースサイトの何でも無い記事に目が止まる。
それはビジター側の帯同メンバーである二番手捕手が今日の先発メンバーに抜擢されるかもしれない、という極めて短文の記事だった。
共に掲載された写真も小さく、いつもの自分ならば読み飛ばしていただろう。
「深谷だ」
画像を見て、かつて高校時代に自分とバッテリーを組んでいた同級生の名が口をついて出る。
彼は高卒育成ドラフトで関東の球団に指名を受け、プロの道を選んだ。
そして長年努力の甲斐あって今や正捕手の座を脅かさんとする二番手中堅捕手の位置まで昇ってきた。
フロントからの信頼も厚くその活躍が大いに期待されている選手の一人、最早チームに無くてはならない存在となった。
育成からここまで這い上がりやっと好機を掴んだ、そのひたむきで真面目な姿勢を応援するファンも年々増えつつあるという。
そんな実直な彼から遠い昔に愛の告白を受けたなどとは、口が裂けても言えない。何が何でも墓まで持っていく案件である。
「プロで成功したら一緒になって欲しい、必ず迎えに行く」そんな今聞いたら悶絶死してしまいそうな台詞をどうか彼が若気の至りだったと片付けていてくれたらありがたい。
高校を卒業する迄の間、彼とはバッテリー以上の関係だったのは事実である。抜群のルックスに加え、献身的で優しいとくれば好きにならずにいられない。
特に何も知らない子供同士の恋愛だ、あの頃はのぼせ上がって彼との関係性について疑いもしなかった。
妙な話だが、自分が一年生時の公式最多勝記録を打ち立てられたのも彼が隣に居たからとも言えよう。
しかしながら、三年も経てばお互い現実的な将来が待っている。
特に彼の場合は入団を控えており、要らぬ醜聞ひとつで選手生命を断たれる可能性は高い。
そんなことを踏まえながら話し合いを繰り返し、高校生活の終わりと共に彼との短い春に終止符を打った。
あれから九年。自分の怪我の具合や互いの忙しさもあって、気が付けば年賀状のやり取り程度の付き合いだけになっていた。
きっともう会うことも無いだろう、一度は離別した仲なので正直会わない方が無難ではあるが。
そんなどうしようも無い過去もあったが、自分としてはただ単純に今夜の試合で彼の出場が楽しみだった。
この大舞台で一体どのような試合を作り上げるのか、一野球ファンとして非常に興味をそそられる。
ポストシーズンにまさかこんな試合を観ることが叶うだなんて、自分も結構運が良いとにやけてしまう。
改めてチケットを譲って下さった指令長には感謝しかなかった。
広島駅到着まではまだ七つもの駅が残されている。赤い新球場に想いを馳せ、イヤホンで音楽を聴きながら車窓を流れる海沿いの街を眺め続けた。
次のページ