=父の背中。=







さて5回目です、仕事おわったぞおおおおお!!!!!帰宅!帰宅そして帰宅!!!
今日は1枚だけですが、忠実お父さんと忠通さんのお話でございます。


ぼくのお父さんの背中、つーのがお題。
忠実と忠通の関係性はなんつうか、読み込む程に色々隙間妄想をかきたてられます。

さてさて、色んな平安末期の資料を読んでおりますと
決まって「忠実と忠通は仲が険悪だった」という記述がズバっとあります。
そうよな確かに、結果的にそうなんだから事実です。
ほんでは実の親子がどないしてそうなってしまったのか?という 過程は
ちょっと曖昧に書かれておりまして、色んな書籍を照らし合わせないと
それっぽいきっかけには辿り着けない仕様になっております。なんとお。
くっそ地味な親子喧嘩だから
しょうがないよね!
とか
ズバンとストライク(155㎞/h・ストレート)決められると
その通りすぎてぐうの音もでません。かかかか勘弁してつかあさい。


ごたくはさておき。
忠通が摂関家跡継ぎとして期待されていた時代、
すなわち幼少期から青年期までの間
忠実との関係性はどうだったんでしょう?
今回はそこんとこを考察していきます。


殿暦ばっかり出して申し訳ないですが、
忠実の日記によると
とてもとても忠通を大事にしていたようです。
主に行動を共にした、とい う記述がちらほらあり
外出には大抵忠通を連れていっていたようです
(あと泰子ちゃんと妻の師子さんもよく一緒)
勿論、政治的意図があり
「みなさんこれがうちの跡取り息子でっせ、よしなに」って
連れて歩くのが目的かもしれませんが。


思うに、忠実は父親(師通)との関係が希薄な分、
家族を大事にしたいという
意識が人一倍強かったのかもしれません。
この時代で言う「ミウチ」感情ですな。
現代人の感覚から読んでみて、いいパパさんという印象があります。


この話の裏づけになるかどうかは謎ですが、師子さんを嫁に貰う前に
忠実は別の女性と婚姻関係にあります。三人子供をもうけたのですが
残念ながら三人ともに夭折してしまいました。
これについて彼はとても悲しんだようで、
次第にその女性とも縁が稀薄になり
離縁に至ったと伝えられています。なんだかお互い可哀想ですな。


そういう経緯もあり家族を大事にしている忠実
家庭は円満ですが、仕事はどうかというと漫画でも描きましたとおり
かなり白河院対策で苦労したようです。

もうね、大河ドラマ1本できそうな位には苦労していると断言してもよい。

マイーニチーがプレッシャー!まいーにちがプレッシャー!!とか

マリアさんの歌を熱唱してしまう程には

院との距離・政治バランスを気遣っていたようです。
いややそんな忠実。

さておき。
そんな父親の背中を見ながらの宮仕え開始をする忠通12歳です。
ちなみに、この頃の摂関家ですがそんなに財力はありませ んでした
じわじわ財力を蓄え始めるのはもう2~3年あとくらいの話。
(忠実が全国に渡って摂関家私有の荘園を爆発的に広げていく)
宮中を懸命に奔走する父親の態を彼はどんな目で見ていたのでしょうか。
残された資料は殆ど無く、彼の心中は計り知ることが出来ませんが
おおっぴらに「父を裏切る行動」など記録が残されていない所を見るに
ひたむきに父親を支えていたのでは? と想像します。


摂関家が権威を失墜してしまっては政治に混乱が生じてしまう
どうかそうならないように日夜踏ん張っている父親を見て
「ゆくゆくは彼のようになりたい」と思ったのではないでしょうか。
若き日の忠通にとって、忠実は憧れの存在でずっと背中を追い続けている。
そういう親子関係だったらいいなあ
…と妄想がつきない次第であります。


これがこのまま続けばよかったのですがね、
そうは問屋が卸さないのが歴史とかいうやつで
いずれ関係性が崩れていきます。
その辺の崩壊原因については山ほどあるので
これもまた日を追って考察していきたいです。



おまけですが
知足院に幽閉された忠実の下へ忠通が通った記録は無いのですが
(人を介してやりとりは沢山あった模様・「富家語」参照)
なんだかんだ言って、忠通はこっそり直接会いに行ってそうな気がします。
「父上めっちゃ暇やろが!!」とか言いながら
密かに北嵯峨に匿った頼長と同様に無体なアルバイトを押し付ければいい(笑)



ちょっと長くなりましたが5回目終了。
明日は忠通さんの誕生日ですね!!!!
最終日ともあって、なんか面白い事できれば嬉しいです。



お帰りはブラウザのバックでお願いします。