=For the moment=




歳の離れた友人を持つ、というのは一体どういう感覚なのだろうか。

最初はいいだろう、同じ趣味を共有する楽しさが先行するばかりなのだから。

だが付き合いの深度が進むにつれ、隔てた年齢差にお互いの遠慮や傲慢さが見えてくる。

それらは見えない距離を生み、やがて縁はグラデーションのように薄らいでいき消滅していく。そういうものだろう。



そういうものだと、ずっと思っていた。





六月の終わり、梅雨も半ばという時期であるが地下暮らしが長いこの身にとってはなかなか実感が湧かない。

強いて言えば、洗濯物を浴室乾燥機で乾かす機会が多くなったことだろうか。正直、あれほど面倒な作業はない。

「あの……出水指令長」

捺印書類を前にして、他所ごとを考えていた思考がハイバリトンの声をきっかけに現実へと引き戻される。

「ああ、すまない本庄。あと二部捺印でいいかい」

「はい」

よろしくお願いしますと差し出される申請書類にざっと目を通して、代表者印を押す。

ここの責任者だというだけで、こんな所に自分の名前があるのが未だに慣れない。登記上そうなんだから仕方がない、

とは言えども自分の力でのし上がった地位ではないのだ。人を纏めるのは不得手だが、そういう事情もあってやはり上に立つこと自体気が引ける。

申請書類と引き換えに捺印簿を受け取り、該当箇所に出水と記された三文判を押していく。

自分の名前がずらりと縦並ぶその様は、なんというか奇妙な芸術を見ているようであまり良い気がしない。

「ありがとうございました。それで、あの出水指令長」

「まだ何か? 本庄」

書類一式と捺印簿を胸にしかと抱きしめて、忠犬の様にこちらの機嫌を伺う部下の顔はいつになく緊張している。

この様子だとまた指令所で厄介ごとでもあったのかと簡単に予測できる。恐らくは本部との人的な揉め事か、そんな予感を顔には出さず更に彼を促す。

「どうした、また本部から開示請求でも来たのか。それだったらいつもの手順で三条くんに回して」

「もしよろしければ、昼食をご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか? 僕は本日指令業務から外れていますので、ぜひ」

「はあ。昼飯を」

「はい」

部下の予想外な提案に、普段人前では決して発しない間抜けな声がうっかり出てしまった。

それについて特に物申さない本庄は、硬い表情を崩さずにこちらの出方を待っている。

「私はいつもここで弁当だが、確か君はいつも社食ではなかったか?」

「いえ、今日は弁当持参です。もし指令長のお邪魔でなければ、いかがでしょう」

恐縮しながらも彼は一転柔らかな愛想笑いを浮かべた。オペレーションの時とは違った愛嬌もある男だったのかと、今更ながら新しい発見に驚いてしまう。

「よし分かった、休憩時間にまたここへ来なさい。ああ本庄、お茶ぐらいしかご馳走できないけどいいかい」

「恐縮です、ありがとうございます!」

また時間になりましたら参ります、そんな弾んだ声を残して彼は嬉しそうに執務室を後にした。

「やれやれ。一体どういう風の吹き回しだろうね」

少ない休息時間こそ煩い上司の顔なんぞ見たくないものではないのか。これが自分だったならば、絶対にそう思ってしまう。

歳の離れた部下の謎めいた提案に一息つき、こめかみを揉みほぐしながら椅子の背もたれにゆっくりと背中を沈めた。





ほどなく昼休憩に入っていそいそとやってきた本庄は、こちらが動く前に早々と茶の準備を始めた。

いつもの来客用ならまだしも、こうしたイレギュラーな雑事を部下にやらせるのはあまり好きではない。

だが折角の好意を無碍にも出来ず、ただ黙って給仕をしてくれるその背中を眺めていた。

「熱いですから、気をつけて下さいね」

応接席の低い机に茶托と共に差し出された玄米茶は、ほどほどの温度を保っている。

エメラルドグリーンの水色も悪くない辺り、彼も入所以来かなり淹れ慣れてきたのかといらぬことを想像してしまう。

やがて他愛の無い話を挟みながらの食事は淡々と進む。

お互いコンビニの買い弁ということもあってか、特にこれといって嗜好の話にまで進まない。

それはまるでやたらと千切れる蕎麦の様に続かない会話だ。そんな居心地の悪さを感じながらも、黙々と箸を動かし続ける時間は過ぎていく。

果たしてこんなことをする為に彼はここに来たのだろうか。一体何の為に誘ったのか、完食後まで遂にその真意には辿り着けなかった。

食後にもう一杯お茶を欲した時、急須を傾ける彼からようやくそれらしい一言が発せられた。

「指令長、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「なんだい急に改まって」

ボーナスの査定はとうに過ぎたぞと冗談めかすと、そんな雰囲気を一蹴するかの様な低音が返された。

「四月のブラックナンバーズ会戦時に確か『ジェットストリームアタック』って仰られてましたよね。あれってアニメかなにかの台詞ですか?」

恐ろしい程の鋭利さを持つ台詞は、一気に己の脳天に乾坤一擲突き刺さる。一体何の目的で彼は今更そんな発言をするのか。

「え……あー、うん。そうだね」

動揺を隠してなるべく自然な返しを心がけ、ひとくち茶を啜って言葉を繋げていく。

「機動戦士ガンダム、のね」

「ああやっぱり! そうなんですね」

やっぱり。その安堵の声は一体どの辺にかかるというのだ。

生真面目な蒼い双眸は相変わらず真っ直ぐにこちらを捉える。

それが「指令長ってアニメオタクなんですね、正直がっかりしました」と訴えているかのような気がしてならない。

己を「古いタイプのオタク」として自認している以上、他人にこんな趣味を知られてしまうことほど恥ずかしいことはない。

最近の子にとってオタクという概念は既にファッションの一つであり、世の中にも迎合されつつあるという現状は把握している。

だが痛ましい某事件をきっかけに世間から迫害され続けてきた「古いタイプのオタク」に属する己を顧みるにあたり、

軽々しくアニメ好き趣味を公言することだけはいまだに憚られるのだ。

最早染み付いてしまったこの癖を今更易々と変革しようというのは到底難しい。

次第に募ってくる焦りを顔には出さぬよう、部下の前では厳格な上司として必死で平静を装う。

だがその反面、背中には嫌な汗が伝い落ち続けていた。どうか早く、早くこの話題が終わってくれという思いが自然と代謝に働きかけているというのだろうか。

「念の為に三原さんから聞いたのですが」

「え、三原くんに聞いたのか」

ええはいまあ、とさも当然という顔付きで彼は続ける。

「仰られた台詞って有名なネタだそうですね。いわゆる定型句のような」

「いや。まあ、そ……そうだね」

そんな真顔で突き詰められると、額にまで脂汗が浮かんでくる。

あの「特撮大好きオタク娘」が他にも要らぬことを吹き込んではいないかと気が気でない。

「三原さんによると、ファンの間では定型句だけで会話ができるとか」

「は、ははは」

ああ、最早針の筵。

三原くん、君はそんなことまで教えてしまったのか。なんてことをしてくれたのだ、次の査定では覚悟するがいいと思わずにはいられなかった。

「あの時の台詞はそういうライトな感覚で仰られたのでしょうか」

「えーと、うん。はい、そうですね」

思わず一回り以上離れた部下に向かって敬語になる。いや成らざるを得ないのだ、この状況下では。

黒い機体が三体揃って思わず気持ちが昂ぶってしまっていたとはいえ、何故指令所であんなことを口走ってしまったのか。

今はただ、あの時の自分の背中にドロップキックを入れてやりたい気持ちで一杯である。

「いいですね、そういうの」

「え」

「すぐ台詞が出てくるなんて、よほど印象深い場面なんですね。深いなーガンダムって」

感慨深く頷く本庄に、意外な返しだと驚いた。

わざわざ上司に気を遣っておべっかを言っているという訳ではなく、純粋にガンダムについて向き合っているような口振りだ。

この様子だと理解の糸口がほんの少しだけ見えないこともない。

だが、ここでオタク特有の「ついエキサイトしてしまい、相手聞いてもない話までし過ぎて迷惑をかけてしまう」ことだけは罷りならない。

ここはなんとか迅る気持ちを押さえて話を纏めてしまうに限る。名残惜しいことこの上無いがが、ここら辺りで話題を切り替えるのがベストだろう。

「ま、まあ歴史が長いシリーズものだからね、うん。ああ本庄、お茶のお代わりはどうだい」

今度は私が煎れるよと腰を上げた時、彼も同じくして立ち上がった。

「本庄?」

こちらを捉える瞳は相変わらず真剣そのもの。強く握った右拳を胸前に、彼は絶妙な距離を保ったまま続けた。

「どうか僕に……僕にガンダムの何たるかをご指導頂けませんでしょうか、出水指令長!」

「へ?」

「知りたいんです。こんなにも長く続いて、沢山の人を魅了する作品って世の中にそう沢山無いじゃないですか。

指令長が思わず口走ってしまう台詞とか、一体どんな場面だったのかなって」

気になるんです、そう彼は強く訴えてきた。

まるで鹿児島出撃前の真摯なやりとりの如く、暫しの静寂が互いの間を流れる。

なんだってそんなことを訴えてくるのだ本庄、ただのアニメだぞアニメ。わざわざ私に聞いて、恥の上塗りをさせようというのか君は。

とにかくどうしたらこの場を誤魔化せるか、そのことばかりに頭を働かせる。

「そんなつまらないことを考えるより、オペレーション精度を上げることが先決だろう」なんて笑い飛ばして話を流し、早いところ持ち場に戻らせる方が最良だろう。

だが、己の口を突いて出たのは真逆の言葉だった。

「本庄……う、うちに来るか?」

「よろしいのですか?」

「うん、まあその、映像ソフト全部揃えてるからさ。み、見る?」

目の前の意思の強い表情が、破顔一笑晴れやかな笑顔に変わっていく。晴天を思わせる表情が実にいつもの彼らしい。

「ありがとうございます! もしよければ御都合の良い日にお邪魔させて下さい」

「えっと、今週末の土曜日は接待ゴルフが無いから。君も休みシフトだったよな。うん、また時間を連絡するよ」

早速携帯電話を取り出して互いのプライベートな連絡先を交換する。そんな一連のやり取りを経て、本庄は改めて深々と頭を下げてきた。

「お手数をおかけします。どうぞよろしくご教示のほど、お願いします」

弾んだ声のまま手早く机上の片付けを済ませた彼は、あっという間に執務室を後にした。

自分の弁当殻まで持っていかれたことに気づいたのは、昼休み終了まで残す所あと十分程度というところだった。

どこまでも細かく気の利いた奴だとつい苦笑いしてしまう。

「……何をやってんだろうな私は。浮かれすぎているのかな」

予想もつかぬ人物に自分の趣味について理解してもらえたのが嬉しかった、そんなところかも知れない。

何とは無しに一息ついて、隅にある流しにていつも通り歯磨きを済ませる。その最中もガンダムに関してありとあらゆる思索が止まらない。

結論からして一人で考えるには荷が重すぎる難題なのだ、こういう時にこそ話を聞いてくれるのは例の彼女しかいない。

そうと決めて、席に着いてとある内線番号を押した。

「はい、三島です」

いつもの変わらないよそいき仕様の無機質な声が左耳に軽やかに響く。

「あ、出水です。三島主任、今少しだけ時間はいいかな」

どうかなさいましたか、と少し緊張気味に彼女は問いかけてくる。

こちらから連絡する案件はいつも決まって芳しくないことが多い所為か、こうして気を張らせてしまっている。仕事とはいえ、申し訳ない限りだ。

そんな彼女の覚悟を前に一呼吸置いて、言葉を続けた。

「聞いてくれ、本庄が一緒にガンダム見てくれるって言ってるんだよ! やばい、もう私めっちゃ嬉しいんだけどさ。

今時ガンダム初心者なんていないよ、正に天然記念物だよちょっと!

それでさ、まずはどれから見せたらいいと思う? 

私的にはやっぱりファーストからなんだけど、あれって本放送のリマスター無いし長いじゃない?

まだ綺麗な劇場版三部作のいわゆる総集編でもいいけど、私が見て欲しい所がね端折られてたりしているんだよね。

だからどうしようかなあって思ってさ。

まあその後のZやZZはファーストの続き物だから、いきなり見せようってのも論外なんだけどね。

でもZは劇場版の出来も見て欲しいのが本音なんだ、あれカミーユが凄く格好いいよね。

テレビ版の終わり方も好きなんだけど、劇場版はあれでもよかったなって。

それでさ、やっぱりガンダムっていうと絶対逆シャアは外せないじゃない?

逆シャア見ないことにはやっぱりガンダムの醍醐味が半減だし、なによりユニコーンが面白くない。

あの、あのネオジオンたるフルフロンタルの良さはね、逆シャアを見てから色々考えて欲しいんだよね。

その後でようやくオリジンかな? で、いっそのこといきなり0083も考えたけどさ、例の、ほら、パープルトンをいきなり見せるとねえ。

いくら本庄でもやっぱりショックが大きいかなって。

あ、08MS小隊をここで観て貰うのもお勧めかな、個人的には結構好きな作品でね。

正にガンダム外伝って感じでさ。ああ、となるとMSイグルーも外せないか。

そうそうF91からだとクロスボーンにそのままいってもらうのもいいね。

もう漫画版がね、またいいんだよなあクロスボーン。あとポケ戦もいいよね、日常ガンダムっぽくてさ。

あのエンディングで私何回泣かされたことか。そうそう、日常ガンダムと言えばVとかターンエーもいいよね、ターンエーの主人公めっちゃ可愛いし。

Vは戦争のリアルさと架空戦記の塩梅がよかったよねえ。

そうそう路線違いと言えばGガンも捨てがたいよね、キングオブハート格好よかったなあ。

んでさ、そこからGロボにはまってもらうのもいいと思うんだ。そのまま横山三国志・水滸伝読破コースにいっちゃうとまたね、世界観広がって大変だけど楽しいよね。

Xの玄人好みな作りも堪らないし、あれ斬新だよね。もっと続いて欲しかったなあ。

んでWは新世紀の流れの入り口にはいいかも、そこからシードとかダブルオーの美麗路線に行くのも楽しいし。

シードから作品違いだけどコードギアスに移るのもアリかなって私は思ったりもするんだ。

あ、そうそう、ダブルオーはキャラの華麗さに目を奪われがちだけど話は硬派だからびっくりするかもね。

で、富野イズム回帰だったらやっぱりGレコかな。あれは単独で楽しんでもいいよね。ちょっとダンバインぽいなーって描写も私的には捨てがたいって思うんだ。

ああでもサンボルの持つ男らしさ・血生臭いリアル感や鉄血の奧深さも捨てがたいよね。

サンボルの手術場面は何度見ても泣けて来るんだよ。

鉄血といえばラスト二話、私は好きだねーやっぱり男臭いよ、あれも。

そうだ、ユニコーンの続編のナラティブも忘れちゃ駄目だね。作画頑張ってたのが忘れられないよ。

ああそうそう、閃光のハサウェイ楽しみだよね。すっごく忙しいけどさ、あれだけは絶対観に行く予定にしてあるんだ!

色々語っちゃったけどね、迷っちゃってさ。ヒビやん的にはここで本庄に何を見せたらいいと思う?」

ここまでうっかり興奮のまま一気に捲し立ててしまった後、彼女から発せられたのは

「だまれ、このくそオタク野郎」

というドスの効いた怒りの一言だった。





やがて訪れた土曜日の午後、約束の時間十分前に本庄は我が家へ到着した。

他人を招くことなど絶対に無いと思っていた一人暮らしの部屋を、前日までに必死で片付けていたことなどおくびにも出さない程の美しい部屋にしてやったのだ。

まさかガンプラやブルーレイ、その他あらゆる資料本がその辺に散らかっているという乱雑な部屋など人に見せる訳にはいかない。

大宮の長たる自分、そして彼の直属の上司としての矜恃がそうさせたのは言うまでも無い。

「お邪魔します、出水指令長」

「いらっしゃい。道中雨が結構降っていたけど大丈夫だったかい?」

はい、と傘立てに群青色の傘を立て掛けて本庄ははにかむ。

こちらの差し出すタオルを断って自らのタオルを鞄から取り出す辺りが、彼の礼儀正しさを思わせる。

水滴を拭うその出立ちはいかにも今時の若者らしく、デザインTシャツにパーカーとジーンズで纏めている。

自分もTシャツにハーフパンツというラフな部屋着だが、やはり若くて締まったスタイルの本庄の方が様になっているなと改めて感じ入ってしまう。

「これ、あのもしよかったら」

お口に合いますかどうかと差し出された有名なコーヒーショップの紙袋に、そんないちいち気を回さなくてもいいからと苦笑いする。

「今度来る時は手ぶらでいいよ」

「え、またお伺いしても宜しいの……ですか?」

「さて、どうだろうね。君次第かな」

とりあえず今日の分は遠慮なく貰っておくよと紙袋を受け取ると、いかにも緊張していますよという顔が綻んだ。

そして彼を居間のテレビの前に案内し、自分はそれなりのもてなしの準備にかかる。

「本庄はビール呑むか?」

「すみません、出来ればアルコール以外で」

「じゃあコーヒーよりも紅茶ね。しかもミルクティー」

驚愕の声と共に、彼はカウンターキッチンの前まで駆けてきた。

「ぼ、僕がコーヒー苦手なのをご存知なんですか指令長」

「ブラックコーヒーを苦そうに飲んでいただろう? まあ女の子の前でいいとこ見せたい気持ちは分かるけどね」

「うわあ、指令長にはなんでもお見通しなんですね」

恥ずかしいですと頭を抱えてその場に座り込む様がなんとも彼らしい。

「君がある女性に密かに想いを寄せている態度は手に取る様に分かるよ」なんて言葉を続けたいが、余りいじめて泣いて帰られてしまうのも宜しくない。

「大人はみんなこんなもんだよ」

そう適当にはぐらかし、カウンター越しに彼へ大きめのマグカップを渡した。自分にはビールとささやかなつまみに菓子類を盆にのせて、テレビの前へと彼を促す。

「昼間からビール、いいですよねー」

「堕落した大人の特権だよ」

居間の机の隅でかしこまって座る彼を促してテレビの真正面に座らせ、自分は左隣へと腰を下ろす。

「とりあえず今日はガンダムのファースト、いわゆる機動戦士ガンダムの一番最初のシリーズからね。これの劇場用三部作の一作目にするから」

ちょっと長めだよ、とブルーレイのパッケージを見せる。予め用意しておいた手書きの人物相関図を渡すと、なんだかややこしそうですねと彼は眉を顰めた。

「このザビ家って親戚多いですね」

「ジオンを支える家って感じだからね」

「宰相ですか?」

いい所を突くね、と思わずにやけて指を差す。

「まあその辺りがキモなんだよ、ざっくり彼らの名前を覚えておくと面白いかもね」

「覚えられるかなー」

僕は歴史科目は苦手でしたと彼は照れ臭そうに後頭部を掻く。

きっと見終わる頃には憶えきっているよ、そんな言葉を胸にしまったままブルーレイの再生ボタンを押した。

劇場用一作目はテレビシリーズ十四話までを再編成した上で、新作カットを追加した一三七分の中編映画である。

一九八一年の作品故に、四十年近い昔の古いセルアニメは正直見難いのではないかと危惧していた。

のんびりとビールを呑みながらも、ついそんなことが気になってしまい時折彼の様子を伺ってみる。

当人はというと、こちらの思惑と違って別段飽きる素振りも見せず真剣に画面に見入っている。

なんというか、無闇に口出ししてはならないと感じる程の雰囲気を醸し出している。

まるでオペレーションの時の集中力を思わせる姿に、改めて真面目な子なのかと感心してしまった。

やがてエンディングロールが終わる頃、時刻は既に三時半をとうに過ぎていた。あっという間の一三七分である。

「もう終わりですか、早かったですね」

「え。そ、そうか?」

何度も繰り返し観ている身としては結構尺が長い様に思えていた故に、彼の言葉が今の自分にとってより新鮮だった。

「どうかな、これがガンダムの導入部みたいなものなんだけど……」

ストレートに「面白いか」と訊くと、きっと彼は上司に気を遣って最良の回答を返すだろう。

でも今それをして欲しくは無かった、特殊な趣味のことだから合わない時は「面白くなかったです」と正直に言って欲しい。

これがこちらの身勝手な願望だとしても、つまらない忖度でこれ以上彼の時間を奪いたくないからだ。

所詮はアニメ趣味、なのだから。

やがて僅かな思索ののち、彼は温くなったミルクティーを煽ると大袈裟に一息ついた。

「ガルマ、もう死んじゃいましたね」

「は?」

「生きていたらきっとシャアの脅威の一つになっていたかも知れませんね。彼、育ちが良すぎてお人好しみたいだったから」

ガルマ、言うにこと欠いてガルマに着目するのか。このアラサー男子は。

「君、そんな深い所まで観ていたの?」

普通ガルマに目はいかんぞと鋭い突っ込みを入れると、彼は赤面して手を振り慌てた素振りを見せる。

「いやあの、なんていうか。彼は職場に居たら結構面倒な典型的三代目ボンボンですけど、

それ故に部下と線引きできる良い上司になれたんじゃないかなって……僕は思いました」

勝手な想像ですいません、そう項垂れる彼の分析力に改めて感服した。

そして、そんな思いもしない観察眼と解釈が可能な彼ともう少しだけ話がしたい。そう強く思った。

「そういう考え方、私は好きだよ」

「は、はい、あの、ありがとうございます。ガンダムって、やっぱり深いですね」

「まあね」

理解を示して貰った喜びを隠す為に簡単な言葉を発してしまったが、内心は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

こんな近くに理解者はいてくれたのかと。

「で、本庄。二作目に例のジェットストリームアタックが入っているんだが。もし君の時間が許すなら、もう少し観ていくかい」

簡単な夕食くらいはご馳走するよ。そう眼鏡のブリッジを押し当てながら述べると「よろしくお願いします」という弾んだ声が返ってきた。

今日の長雨はきっと夜まで続いてしまうだろう。だがこうしてのんびりとアニメ鑑賞をするにはうってつけの日になったことを梅雨空に少しだけ感謝した。





休み明けの月曜日。相変わらずジメジメとした気候が変わらない中、定例ミーティングを終えた後で三島くんに呼び止められた。

「どうでしたか、彼」

彼女の発した言葉の堅さから、先日あったガンダム鑑賞会のことを指しているのだろう。

思わず不敵な笑みを浮かべて眼鏡のブリッジ部分を押さえ斜に構えた。

「なかなか優秀だよ。ララァがあの二人をきっと一生苦しめるだろうと、三部作の時点で見抜いていたよ」

「それは洞察力が深いですね」

三島くんも眼鏡の弦を持ち上げて興味有りげな素振りを見せる。

「ていうかさ、いずっぺ。なんで最初っから有料のチャンネル勧めないの?

あれ何処でも見られるから、わざわざいずっぺの家に呼ぶ必要ないじゃん」

「分かってないなーヒビやん。オタクってさ、なんかこうアニメ観終わってから濃い解釈をお互い語り合いたい時もあるだろう?

拙者そう思う軍なんだけど、違うの?」

それは、と彼女は言い淀みたじろいた。

オタク歴が自分と同じレベルの彼女には、きっと共感できる部分があるのではないか。そう信じて発した言葉だった。

「うん、まあ分からんでもないよ。でもねいずっぺ、これだけは言っておくよ。

上司って立場を利用して強引に本庄くんをアニメ漬けにするのが一番駄目だからね」

「……わ、分かってるでござるよ。そんなこと」

ならいい、そう彼女は語気を強めて告げると踵を返した。その背を追う様に共に廊下を歩んでいく。

「次は何見せるの?」

「Zガンダム、一応劇場版の方なんだけど」

「テレビ版の最終回も見せないといかんよ、あれがかなり重要なんだから」

「まあそうだね、シャアの扱いもなかなか良い感じだし。一作目からするとちょっとびっくりするかもしれないね」

「出来ればハマーン様に惚れて欲しい」

「いいよねえ彼女、拙者も好き。嫁にはちょっと難しいけど」

Zにおけるハマーン・カーン様の格好良さは異常でしょう、そう力説する彼女の姿に含み笑いしながらエレベーターエントランス前で歩みを止めた。

「友達になれるといいわね」

「は?」

降りのボタンで開いた扉に乗り込んだ彼女は、意味深な一言を残して手を振り笑った。

「友達って、え、なんだよそれちょっと」

こちらの疑念を遮断するよう、呆気なく扉は閉まりそのまま一人取り残された。

友達、歳の離れた部下と友達。

本庄と、私が。

「まさか、そんなこと絶対に有り得ない」

そういう質の悪い冗談はアニメ世界の中だけにして欲しい。そんなことを嘯きながら、己の執務室がある階層への昇りボタンを思い切り強く押す。

「絶対に、それはない」

過度に騒つく胸を鎮めたくて大きく深呼吸をする。

そんな不確定な要素にいちいち振り回されるのだけは御免だと、今一度眼鏡のブリッジを強く押さえて鼻で笑う。

そうしていつもの「大宮支部指令長・出水シンペイ」としての冷たく硬い貌を取り戻し、やってきたエレベーターの奥へと脚を踏み入れた。














お帰りはブラウザのバックで。